業界でキレものだと噂のあの人、話題のサービスを手掛けてるあの人、不思議なオーラに包まれてるあの人、日本に活力を注いでいるとも言えるそんな魅力的な方々との対談企画「あの人の耳はロバの耳」
第2回目の対談のお相手は、
ポートトゥウィン・ピットクルーホールディングス株式会社
小西直人社長です。
ポールトゥウィン・ピットクルーホールディングス株式会社
代表取締役社長 小西 直人(こにし なおと)
1973年アーサー・アンダーセン・アンド・カンパニー(現有限責任あずさ監査法人)に入所した後、独立。
1996年フューチャーシステムコンサルティング株式会社(現フューチャーアーキテクト株式会社)監査役、2001年ピットクルー株式会社取締役、2006年ポールトゥウィン株式会社監査役などを経て、2009年にポールトゥウィン・ピットクルーホールディングス株式会社代表取締役社長(現任)に就任。
2014年からピットクルー株式会社代表取締役会長を務め、現在は、Pole To Win International Limited Director(現任)も歴任する。
大学卒業後、米国系会計事務所のアーサー・アンダーセン(アクセンチュアの前身)に入所。米国勤務を経験したのち、1985年にアンダーセンから独立して会計事務所を開業後、多くの企業の役員を歴任された小西社長。
現在は、東証一部上場企業ポールトゥウイン・ピットクルーホールディングス株式会社の代表取締役社長としてご活躍されています。数多くの企業経営に携わられてきた経営のプロフェッショナルでいらっしゃる小西社長に「経営の哲学と倫理観」とご自身の経験も踏まえた「仕事や人生で大事なこと」について伺いました。
自分のやりたい仕事を貫く
小西さんに聞きたいことがありまして。外資の会計事務所に入所されて、その後独立されたじゃないですか。最初から順風満帆だったのでしょうか?そのあたりをお聞きしたいです。
僕ね、35歳で独立したんだけど、やめると決めたのは32歳。もともと広島に帰ろうと思っていた。もともと3年位は東京で働こうと思っていた。
当時、外資に就職するって珍しい選択ですよね。
まあね、でもそれはすごい良かった。社会人としての基礎を教えてもらって。
仕事が面白くて、会社に長く居た。
やめるには準備がいるから、自分の代わりの人間を育てなきゃいけない。俺はやめるけど、お前このあと頼むぞってね。(笑)それで仕事引き継いでやめたんですよ。
それで広島に帰りましたと。でもやめる準備はしていたが、広島に帰る準備は全くしてなかった。だから最初、順風満帆どころではなく、3年間くらい、年収1/10くらいに減った。
それは大変ですね。その時お子さんは?
三人いて。
想像するとぐっときますね。
無謀ですよね。40歳だったらできてなかったかもしれない。35だからできた。
準備なしで広島に帰ったからね。
でも、お金を稼ぐ手段がないわけではなかった。会計士の資格を使って、1年中その仕事をすれば、年収800万くらいにはなった。でも僕はその仕事をしたくなかった、やらなかった。そのときに、しんどかった3年間、お金はなかったけども、自分が決めていた仕事、こういう仕事をしたいというのを貫いた結果、今があるね。会計士ではなくなってしまったかもしれないけれど経営者になった。
今となっては、小西さんが会計士だった事を想像するのが難しい気も(笑)
でも僕は意識の中で違うことをしているという気がなくて。
普通は地元に帰って働くと、会計事務所や税理士をやることが多いけど、自分は向いてないんですよ、会計の仕事(笑)。
僕は会計の仕事(実務)をしない。経営の相談をされる仕事をしたかった。
会計事務所を開いていたんだけど、仕事の内容はクライアントの経営会議出て、営業会議出て、新製品の開発会議出て、そういう仕事ばかりしていた。
そうすると、会社の役員になってくれという話が増えて、多いときは30社ほどやった。
そのあと、色々あって、何社かに絞って、密度の濃い仕事をしようと思って結果的に1社に絞っていったら、社長になったというだけ。
だから、自分の中では全然違ったことをしているとは思っていない。
でもまあ、自分のやりたい仕事で本当にお金を稼げると思っていなかったね。
でもそのときに、自分がこれをやろうと思っていて、自分はこれがやりたいんだ!というのは明確だった。
だからまあ、金銭的にしんどくても「あれやるくらいだったら金の苦労したほうがいいな」という感じだった。でもあの苦しい状況がもう少し続くとだめだったかもなあ(笑)
ちょっとづつ信頼を重ねて、積み上げてやってこられたんですね。
そう、ちょっとずつね。僕らはクライアントの人と、人間関係を作り上げていく仕事なので。まあ例えると「相手の家に行って、冷蔵庫の中見せてくれという仕事」なんだと思ってる。よっぽどのことがないと冷蔵庫の中って人に見せないでしょ?
すごい立派なお家でも冷蔵庫開けてみて、何が入っているか、それを知らないと仕事始まらないから。冷蔵庫の中をみせよう!となるには人は何年もかかるから。
だからある程度の期間、5年とか過ぎたらだんだん仕事が増えてきた。
勇気が出る話です。
5年単位で人生プランを考える
自分の父親が明治の終わりに生まれ、戦争行って、仕事行って、退職してから、父親に趣味を勧めた。しかし億劫そうだった。結局ほとんど趣味がなく、家でテレビみてるような生活だったんだ。
私の父も無趣味で。定年してからずっと家で一人テレビを見たりしてました。
父親みてて思うのは、なにやるのも20年くらいかかるよねってこと。
定年した後、今までと違う生活が来たときに、自分にできるものがないといけないよね。
それって20年位前から自分で作っておかないと難しいよねと思ってたんだ。
でも40歳位の頃って忙しくてなかなかそんなこと考えないけども、僕は、ラッキーで色んな人に巡り合って、ヨットやったり、絵を描いたりしてる。
ヨットも20年以上やってる。いろんな趣味をやってる。仕事ではない人間関係を持てているのは良かったと思う。
小西さんからその話を聞くと響くものがありますね。やはり時間をかけて続けていく趣味って大切で、その趣味を通じて構築する人間関係は人生を豊かにする要素かなとも思います。
まあ、本当に仕事をやめた後、自分がどうなるか実際わからないけどね。(笑)
人との接触が減るかもしれない。増えるかもしれないけど。それはわからない。
そんな中で、一人でやる趣味だけではなく、大勢でやる趣味ってやっぱりいいと思う。
いざ 暇になってから何かをやろうというのは遅いとは思う。これは何事もね。
趣味の話だけでなく、どんなことでも計画性は大切ですね。
うん。自分ではそんなに計画性がある人間だと思っていないんだけどね。
でも5年単位で人生を考えるのは必要だと思っている。
特に新入社員にむけてスピーチするときに言うんだけど、会社に入って5年、その後の5年、10年と、社会人としてどうしていくのか考えようと。
最初の5年はとにかく仕事を覚えてる、その次はここまで、その次はここまでというようにゴールを設定して見直していればだいぶ自分が違ってくると思う。
そう考えると、僕も5年単位で節目があった気がします。
22歳で社会にでて、5年位は本社部門で仕事を体系立てて学ぶような仕事をし、その後の5年位は出向も含めて、武者修行のような形で大きな組織の論理を学びながら様々な上司の生き様を見て、自分はどうあるべきかという事を意識しはじめた。
そして、次の10年でそれまでに学んだ事を実践に移すべく、インターネットビジネスに飛び込んで、サラリーマン社長を経験して、そこから独立に至って今がある。
まさに今、次の5年で何を成すべきかというタイミングです。
「自己資金で、やりたい事業で、事業に携わる人達を幸せにする」という僕なりの考え方で会社をやっていますが、今後45歳くらいまでを見据えたときに、どういうアプローチで人生や会社を設計しようかというと、不安や迷いがあるのが正直なところです。
なるほどね。
まあ、スタートって、1年~2年かかるよね。でもその後を考えるって必要だよ。
じゃあその会社、誰に対して何する会社なの?
例えば5年後に、20歳の社員を20人採用できるようにしようと決める、なんでもいいと思うよ。
さっき言ったような「人を幸せにする」というのは、何屋として人を幸せにするのか。
今村さんの仕事って新しいタイプだから、従来の業種にはないかもしれないね。
普通は「あなた何屋ですか?」と聞かれたら、「僕は不動産業です」「僕、印刷業です」など答える。でも、○○業で答えるのではなく、自分の仕事は何屋かといえるかどうかが大事だと思うのね。
必ずしも、今思ってることが実現するかどうかわからない。
だけど、結局○○業という、人から見たところの部分が変わったとしても、その人の根っこが変わらなければいいと思う。
その上でもうちょっと考えたときに、「みんなを幸せにしたい」というのはどういう風にしたいのか、そういうことを明確にすりゃいいいんだと思うよ。
ありがとうございます。現状だと僕の場合、すごく近しい人からも「ヤスって何してる人なの?」と聞かれて。そう聞かれると「俺はね、自分が関係する人が笑ってもらえるようなことを生業にして頑張ってるんだよっ」てしか言えないんですよね、今は。
だから小西さんのおっしゃってることの意味ってすごくわかりやすくて、今後の5年で僕は何屋なのかを明確にできるようにしていきます。
そうだね(笑) それはとても大切な事だよ。
始末できる人になろう
若い人によく言うことに「三つの理」というのがある。
社会人になって最初は、「論理」だと思うんだよね。最初はものごとを構造的に考えられる能力が必要じゃない? 論理的な物事の考え方ができないとやっぱり仕事はできないから論理的思考は必要。
そこから先は「心理」だって言ってるのね。
いくら良いことを考えても人に伝わらないと意味がないので人に伝える能力が大切。
心理学を専門に学んでいないんだけど、心理を知ることが、人の心に到達できて、人のこころを動かす力になると思うんですよ。
そして最後は「倫理」だと思う。年をとると本当そう思う。
経営者にとって倫理観ってとても大事だなと感じています。手段と目的を間違えてしまうと、倫理観を踏み越える人が出てくるのかなという気がしています
最近、よくセミナーでも話すんだけど、2つの「さ」、3つの「し」という話をするのよ。
2つの「さ」は、「才覚」(ビジネスに気がつく能力)と「算用」(数字がわからないといけない)。3つの「し」は、「辛抱」(ビジネスは我慢しないといけない時がある)、「信用」(信用をつけないといけない)、そして「始末」ということね。
始末って言葉は関東の人はあまり使わないよね。ケチと同義と思われがちだけど、これは近江商人の言葉で、始末とケチは大違いなのね。近江商人って知ってる?
はい、知っています。
面白い話がいっぱいあるのよ。
例えば、ケチな人は一番安いお茶の葉を買う。始末する人は一番高いお茶の葉を買う。
ケチな人は一番安いお茶を買うから、一回でお茶がでなくなる。
始末ができる人は一番高いお茶を買うんだけど、一番煎じ、二番煎じ、三番煎じも出る。最後には煮出して番茶にして社員に飲ます。近江商人は無駄遣いしない。
ケチとは違いますね。
面白いのは、始末とは「はじめ」と「おしまい」って書く。
近江商人は、はじめとおしまいのバランスをとるんだ。お金をもっては死ねないからということで、橋やお寺を建てるのに寄付する。貯めたお金を世の中に返していくから商売なのね。ケチで自分で溜め込んでは意味が無いという話。
だから始末というのは、深みがある言葉。結局その中に「倫理観」というものが入っているんだと思うよ。「あの人は元気が良くて儲けていたけど、最後は会社潰しちゃった」という人がいるけど、そういう人は始末ができないんだと思う。
始末という言葉は「あいつを始末しろ」みたいなどちらかというとネガティブな意味合いで使われる事が多い気がしますが、実はとても深みのある言葉ですね。
そうなんだよ。この言葉はとても哲学めいてる。
悪い意味で使われちゃって本来の真意が伝わらないのはとても残念なんだよ。もっとこの言葉って正しい意味で広まるべきだと思う。
そしてやはり算用も大事ですね
数字がわからない経営者は絶対ダメ。これだけはダメ。
少なくとも自分の給料とか外注先に、自分で払った経験があるやつはすごく強いですよ。
何がわかるかって言うと、自分の給与は最後だから。
自分で事業やってる人って、絶対払わなきゃいけないものの優先度があるわけじゃないですか。仕入先に払って、家賃払って。そうすると、結果的に自分の取り分ってお金が余ってたら自分が取れるという。
商売始めたときにみんな経験することじゃない。それを経験しているというのは凄く大きい。
昔も今も古今東西、会社が大きくなるにはルールがある
僕は20年から25年くらい前に近江商人の映画「てんびんの詩」みた。
何もないところからはじめて、天秤棒担いで朝から夜遅くまで働いてビジネスを大きくしていく話なんだけどね。よくビジネスの教材に使われる映画なんだけども。
近江商人って、江戸時代に北海道から九州まで日本中に支店を持っていて、近江商人の主人は、年末年始しか家にいない。1年中ずっと旅して支店まわって、行商していた。
だけども、昔は藩がちがうと言葉(方言)が違うし、今で言うところの世界中に行ってるような感覚でしょ。それがさ、天秤棒でどうやって商売できるの?と不思議に思ったんだよね。
それで、天秤棒だけじゃないなと思って、「中井家の研究」って本や他にも近江商人の本読んで研究していたら、びっくりするような気づきがたくさんあった。
例えば、各支店から、月次報告書が全部飛脚でくるんだって。
月次の報告書ですか?
そう。
日本全国どこにいても、リアルな数字を把握していた。それをチェックして、評価して、ボーナスを与えるなど、評価と監査と人事など、すべて数字をもとにやっていた。
江戸時代って、もっとどんぶり勘定だと思っていたけど、数字をもとに商売している。
やはり大きくなるにはそれだけの理由があるんだね。
他にも、当時から複式簿記のようなことをやっていたり、行動規範作っていたり、特産物を船で送るとき、難破に備えて保険制度も自分たちで作ってた。
そう考えると、東洋も西洋も今も昔も人が集まって会社が大きくなるっていのは、ルールがあって、それは変化していなくて。いや、むしろ、今のほうが昔より退化しているかもしれないと思うことすらあるんだよ。近江商人は、僕にとって研究テーマとして面白いものがある。
近江商人から商いの原点を学ぶというのはよく聞きます。
僕も年末年始くらいしか家に帰らないという位、働かないと。
家には帰ろう(笑)