2017-10-30

株式会社ビューティガレージ
野村秀輝社長[前編]

業界でキレものだと噂のあの人、話題のサービスを手掛けてるあの人、不思議なオーラに包まれてるあの人、日本に活力を注いでいるとも言えるそんな魅力的な方々との対談企画「あの人の耳はロバの耳」

第3回目の対談のお相手は、
株式会社ビューティガレージ
野村秀輝社長です。


株式会社ビューティガレージ
代表取締役CEO  野村秀輝

1990年3月 青山学院大学経済学部 卒業
1990年4月 中央宣興株式会社 入社
1995年2月 CHUO SENKO THAILANDに出向
1997年5月 CHUO SENKO INDONESIAに出向
2001年1月 株式会社マッキャンエリクソン 入社
2002年10月 マーケティングプランナーとして独立
2003年1月 株式会社WASABI(現:株式会社BGナビ)設立代表取締役に就任
2003年4月 株式会社BEAUTY GARAGE(現:株式会社ビューティガレージ)設立/代表取締役に就任(現任)
2014年11月 株式会社アイラッシュガレージ 取締役に就任(現任)
2017年7月 株式会社BGパートナーズ 取締役に就任(現任)

 


大学卒業後、広告代理店 中央宣興株式会社に入社。
広告・マーケティング全般に関する研鑽を積み、同社のタイ、インドネシア現地法人に出向し、国際舞台でのビジネスを経験するなか、現地法人社長として経営を担う。
帰国後、外資系広告代理店へ転職からマーケティングプランナーとして独立を経験された後、2003年4月に
株式会社BEAUTY GARAGE(現:株式会社ビューティガレージ)を設立され、代表取締役に就任。
2013年2月東証マザーズ上場、2016年7月東証一部上場を遂げられました。
美容業界において、圧倒的な存在感を放ち、いまなお大きく成長し続けるビューティガレージ野村社長に、
「創業当時の秘話」、「経営哲学」や「ビジネスで成功するために大事なこと」を伺いました。


BIGになりたいという気持ちがあった

今村)野村社長、今日はよろしくお願いします。
もともとサラリーマンをなさっていたと思うのですが、起業しようと思ったきっかけはどういうところにありましたか。

20代の頃から漠然と起業してみたいと思っていました。
それを本当にやろうと強く思ったのは、海外駐在員だった時、現地法人の社長を任されたのがきっかけです。

それまでは、自分はNo.2の方が向いているのではないかと思っていたのですが、事業に対して「もっとこうしたらいいのに」という想いを持つ場面もありました。
そんな折、いざ自分で社長業を経験して「こうやればいいんじゃないか」と思っていた事をやれるポジションで、それをやったら想定していたとおりの成果が上がって。自分で全部決めて結果が出たら楽しいでしょ?それで「俺って結構いけちゃうんじゃないか(笑)」と自信がついたんです。

もうひとつは時代背景もあります。
当時、日本では「IT革命」と騒がれていて「このまま東南アジアにいたらこの波に乗り遅れてしまうのではないか」と思い帰国しました。帰国してから1年で転職して、もう一度、サラリーマンをやり始めたのですが、一度社長業を経験した後に中間管理職的なポジションで仕事をすると、どうしても自分の中に違和感があって。やはりトップでやりたいなと思って、それで起業しようと。特に何をやるって決めずに会社をやめてしまいました。

私も似たような経験があるので、気持ちがわかります。根拠のない自信が自分を突き動かしているような。

そうですね。それと、当時は、正直に言うと「BIGな男になりたい!大金持ちになりたい」という野心を持っていましたね。自分で事業をやるからには、大金持ちになりたい。「(買い物行ったら)ここからここまで全部ください。」と言えるくらいになりたかった(笑)

なってしまった今はどうですか?

いやいや、今も買い物に行ったら一つ一つ値札を見て「これください」ってこじんまりやっていますよ。

絶対見てないですよね(笑)

いやいや見ますよ(笑)

帰国されてから転職されたマッキャンエリクソンには2年ほどいらっしゃったと思いますが、その中で何を学ばれましたか。

そこではマーケティングの知識をより深めることができました。
あとは、レベルの高い人ってこんなにたくさんいるんだなってことに気づきましたね。

マッキャンエリクソンをやめて、いよいよ起業されたわけですが、当初の事業からどういう過程を経て、ビューティガレージに辿りついたのでしょうか。

マーケティングプランナーとして独立して、プランナーやコンサルティングの仕事を請け負っていましたが、ずっと実業をやりたいという想いを持っていました。

マーケティングとか広告って、人のお手伝いであり、アイデアや企画勝負なところありますよね。それが当たるとお客様からすごく喜ばれて、それはそれでとても嬉しいことなんですが、どうしても自分達の立ち位置は外部の「縁の下の力持ち」的なポジションになるんです。

例えば、プレゼンで色々企画を出して、自分が「絶対にイケる」と思った企画を出しても、お客様の好みなどによってそれが通るとは限らない。でも、僕はそのボツになった企画やアイデア、考えが正しいと思っていたし、それを証明したかった。

「これをやれば絶対成功するのに」って自分の企画力やアイデア力に自信があった。

それで、自分でリスクとってでも実業をやろうと。格安宅配ピザ事業、水関連事業やメイド・看護師の派遣事業だとか。過去の仕事の延長線上でマーケティングプランナーをやりながらも、そういった新事業を考えながらビジネスチャンスを探していました。だから、当時は事業計画書をたくさん作っていましたね。

そんな中で、供田(現ビューティガレージ代表取締役COO)と出会って「これは面白い、いける!」と思ったのがビューティガレージでした。そして、一緒にスポンサーを探したんですけど誰も出資してくれなくて(笑)。
でも自分の感覚を信じていたので「じゃあ自分で出資しよう」と結論づけました。

「あるべきものがないのはおかしい」既得権益に屈しないサロン目線の市場があるべきだと感じた

ビューティガレージの創業当時はどんな毎日だったのでしょうか?

ビューティガレージが軌道に乗るまで、最初の2年くらいはマーケティングの会社と両立させてやっていました。しばらくは、ビューティガレージからは給料をとっていなくて。当時は、供田も違う会社をやっていて、二人でビューティガレージをインキュベートしようと話していました。

スーツを着てマーケティングのプレゼンした後に、ビューティガレージの中古の買取に行ったりしてね。きつかったけど楽しかったな。スーツのまま中古品の買取に行かなくちゃいけなくて、なんか自分でもおかしくって。(笑)

とても良い話だと思います。その当時、自分が信じた事業に不安はありませんでしたか?

ビューティガレージを立ち上げてからは、不安を感じる暇はなかったですね。とにかく、がむしゃらにやるという感じだったので。むしろ、不安といえば、サラリーマン辞めて一人でプランナーやっている数ヶ月は不安でした。社員もいなくて一人だったから自由すぎて自分がダメになるような気がして(笑)

ビューティガレージの事業について聞かせてください。立ち上げ当初、このビジネスモデルの可能性をどのように感じていましたか?

「中古美容器具の買い取り販売」というビジネスモデル自体に可能性を感じました。当時、美容院で使う機器は新品を買うしかなかったんです。

他業界では当たり前の「中古市場」が美容業界にはなくて。それで、そもそもなんで無いの?って思って。他業界ではニーズがあるわけだから、美容業界も絶対に中古のニーズがあるだろうと感じていました。

それは何故なかったのでしょうか?

流通において、伝統的な商慣習が頑なに守られていました。問屋、代理店を必ず通さなければならない複層的な流通制度だとか。でも、既得権益者たちが市場をがっちりおさえているからこそ、逆にこれは大きなチャンスになるなと思いましたね。

「あるべきものがないのはおかしい」。市場を正常化するというか、既得権者が作ったルールに屈しないサロン目線に応えた市場があるべきだと感じたんですよね。

しかし、資本もないベンチャー企業が既得権益に風穴を開けて市場を作るというのは簡単な事ではないように思います。

そうですね。まず、当時社内で意見が別れたのは「流通を支配しているディーラーを介して売るのか」ということでした。業界の常識ではそれがセオリーだったので。しかし、私は「直販でネットを使って売ろう」と周囲を説得してネットで売ることを決めました。

中古市場が存在しない中、販売するための中古器具や備品は集まったのですか?

美容室の住所ってオープンになっているので、そこにダイレクトメールを送ることが難しくなかったんです。「不要な美容器具お売りください」というダイレクトメールを出したら、たくさんの反響があって。

それで、私がワンボックスカー出して買い取りに行きましたよ。
最初は、備品の目利きがうまくいかなくて大変でしたけど、とにかく買い取りをしないと商売にならないので、1点でも多く買い取りました。

美容室が撤退する時に、解体業者さんたちが来るんだけど、廃棄する前にざーっと備品や機材をチェックしたりして。今思えば、かなりハードワークだったけど楽しかったですよ。あの頃はトレーニングジムに行かなくてもマッチョでした。(笑)

大手参入時に備えて、それに負けない体制を作ることに経営資源を集中投下した

今のビューティガレージはそこから始まったんですね。仕入れた中古品はどのように販売されたのですか?

スタート時はネット1本でやっていました。写真を撮って、商品マスタを1点1点作って。当時は中古品をネットで売るなんて絶対成功しないって言われてました。中古品っていうのは、1点物だから、商品マスタを整備するコストが高いってね。

でも私はそうは思っていませんでした。なぜなら、中古美容器具は商品単価が高かったし、システムさえ作り上げれば、必ずペイすると思っていました。

当時はそこまでネットで物を買う習慣が根付いていない状況だったと思うのですが、集客に自信はあったのですか?

今でも美容室業界は他の業界に比べてITリテラシーは低い方かもしれません。
しかも2003年なんてもっと低いわけですよ。ネットを使いこなしてビジネスする人なんて相当レアでした。

だけど、そうはいっても使ってくれる方は、一定程度はいるはずだと思いました。そしてこれからどんどん増えてくると踏んでいました。だからこそ、先行者メリットが出てくると。そこには、ネットでいけると根拠のない自信がありました。

ただ、ネットで問い合わせを頂いても「実際にモノをみてみたい」と言われることがだんだんと増えてきて。それで最初の頃は、品川の貸倉庫でお客さんと待ち合わせして倉庫の中を案内して商品説明してたんですよ。「こういうのもありますよ!」なんて(笑)

しばらくそうやっていたんだけど、ちょっとこれだと効率が悪いなと。
これだけニーズがあるんだから倉庫兼ショールームを作ろうという事になりまして。

そこからは早かったですよ、創業して半年で最初のショールームを作って、8ヶ月後には名古屋・大阪にも作りました。創業して3ヶ月位で「中古販売はいける!」という手応えを掴んだので、一気にショールームを作りました。

意思決定と拡大のスピードが早いですね。

僕はこの事業は大手メーカーがやらない訳がないと思っていました。絶対に後から大手メーカーが中古市場に参入してくると考えていて、そこに危機感を持っていたんです。

なので、彼らが気づいて中古市場に入ってくる前に、それに負けないだけの体制を一気に作ってしまおう!これはスピードが勝負だと思ったんです。

なので、約2年でショールームを10店舗くらい作りました。

このビジネスの勝敗を決めるのは買い取りだと思っていました。

「販売拠点を10店舗作りたかった」のではなく、日本に「10店舗くらい買い取り拠点を作ってしまえば買い取りで負けないだろう」と考えたんです。そして、2年で10店舗、3年で12店舗くらい拠点を作りましたね。

創業初期の段階で一気にそれだけのショールームを作ると固定費も増える、買い取りに必要な資金も増えるという事で、リスクもあるように感じるのですが。

拠点は一気に作りながらも毎期黒字でしたからね。自分の中では分相応の投資だと思っていましたよ。

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