既存流通の圧力の中で生まれた新たなビジネスチャンス
創業してから2年間でその成長は驚異的だと思いますが、大手メーカーは御社をどの様に感じていたのでしょうか。
そうですね。
そこは、今になって思えば、初期の段階で大手メーカーにきちんと話をしてから進めていけばよかったかもしれないなと思う事もあります。ちゃんと挨拶行ったりとか。(笑)
創業して2年たったくらいの頃、大手メーカーから取引停止になったんですよ。
部品の供給とか機器の修理をしてもらえなくなって。中古で買い取ったものを修理できない、部品ももらえないということじゃ再販できないからこれは困ったと。その時はピンチでした。
当然、そのままだと商売にならないので、直談判にいくことになったんです。
取引を再開してほしいということに加え、この機会に大手メーカーの新品も販売するから正規代理店になるって提案しました。
でも「検討します」とだけ言われて、どれだけ待っても返事がなかった。メーカーの社長に手書きで手紙を書いたりもしました。でも返事がなく。これはもう何をしても無理だろうとなって。
でも、そこで負けるわけにはいかないじゃないですか。
それで「だったらもう自分たちで作ってやる」って思いまして。(笑)
その時に自分たちのオリジナルブランドを作って売っていこう!という方向にシフトしました。大きな転換点ですね。
オリジナルブランドということは新品ですよね。
そうです。今では売上の97%は新品ですね、そのうちの60%はオリジナルブランドです。初期の頃、売り上げの主力だった中古販売は全体の売り上げの3%という比率に変わっています。
取引停止というピンチがあって、そこからメーカー路線に切り替えたんですね。
そうです。
中古販売時代に積み上げてきた顧客基盤という資産があったし、元々、私はデータベースマーケティングを得意としていて、新品も買いたいというお客様がいるのはわかっていたので、チャンスはあるだろうと。
ただ、やっぱりものづくりは初めてなので、そこは本当に苦労しましたね。
既存のメーカーさんから買うより御社から買うほうがサロンとしてはメリットあるのでしょうか。
大手メーカー品より二分の一から三分の一程度の値段で販売している商品が多いので、圧倒的に安いのです。
きれいな他社の中古品より、弊社のオリジナルブランドの新品の方が安かったりするので、新品購入に手が伸びるようなイメージです。
結果、うちの事業全体でもオリジナルブランドと中古はカニバリゼーションを起こしていて、中古の売上は減ってきています。しかし中古販売はマグネット効果もあるから続けています。
そういう意味では、オリジナルブランドが成長して、美容器具に関してうちはメーカーの立ち位置にいます。さらに今は器具・機器だけでなく、化粧品にも幅が広がってきていて、まさにディーラーの領域にあります。
しかし、今、こうやって振り返ると、もしあの時大手メーカーが「ぜひ弊社の新品を売ってください」という話になっていたら、弊社は大手メーカーのNo.1の販売代理店になっていたかもしれませんね。(笑)
社会に求められている事をやろうというのがモチベーションの根底にある
野村社長の仕事に対するモチベーションについて聞かせてください。
創業当初こそ「大金持ちになってやろう、BIGになりたい」という想いもあったかと思いますが、会社が大きくなっていく過程の中で、仕事のモチベーションが徐々に切り替わっていると思います。
それは、どのタイミングで切り替わったか教えていただけますか。
それは、実は割りと早い段階で切り替わりました。
まずは「自分のために」よりも「社員のため」と思うようになりましたね。
一緒に働いていて、本当に一生懸命やってくれるメンバー見ていると「このメンバーだけは幸せにしたい、せめて彼らの生活だけは守りたい」と思うようになったんです。
自分の事は置いといて、まずは彼ら彼女らを守るっていう風になった。
それは社員を雇うようになって意外とすぐの時点で切り替わりました。(笑)
それに加えて、自分たちがやっている事業がお客様からすごく喜ばれて、すごく支持された事を実感していたし、社会的意義も実感していました。
だから社会に求められていることをやろうという意識はすごくありました。
一方で既得権益者からの妨害や難しい局面に立たされたことへの反発心みたいなのも自分の中では大きなエネルギーになっていて、執念といいますか。嫌なことがあったら余計頑張ろうという発想でしたね。
「もう満たされた」とか「このままでもいいんじゃないかな」など成長意欲がなくなったりしなかったですか?
達成感みたいなことでいうと、昨年、東証1部に市場変更できました。
自分の立てたひとつの旗(目標)を達成したんです。
正直、そのことでもう一度自分をモチベートすることに苦心する感覚もありました。
経営者の中には、社会的立場や経済的自由を手に入れて、そこで満足してしまう方もたくさんいるだろうなとは思うけど、そうはなりたくなかったので、私は次の旗を立てようと思ったんです。
「アジアNo.1の美容商社になる」という新しい目標を立てて、それを宣言することで、再度自分を追い込むことにしました。
今の自分は何ができるのかを考えると、会社としては「美容業界を良い方向に変えていく」こと、個人としては、これはもう少し先、引退してからでもいいかもしれないけれど、これから出てくるベンチャー経営者さんたちのお手伝いができればいいなと思っている。
世の中のために、社会が求められていることで、出来ることをやりたいと思っています。
野村社長が思う成功の定義はどういうことでしょうか?
それはやっぱり自分でやりたいこと、これをやるんだって掲げた旗を達成することが一つの成功なんだと思います。
そういう意味ではいくつか旗を達成してきたから少しは成功してきたのかな(笑)
でもまだまだ達成したい次の旗がありますからね。
人を信用しないっていう生き方をするとすごくつまらない人生になってしまう
いいお話を聞かせていただいて勇気がでます。私も含めて事業運営で悩んでいる経営者達がたくさんいると思います。何かアドバイスをお願いします。
事業モデルやビジネスアイデアはやってみないとわからないところがあると思っています。
うちもビューティガレージが最初に当たったけど、そのあと「e-ラーニング事業」をやったり「人材事業」をやったりして、失敗もしています。
要は、色々やってみて仮説検証して「あ、いける!」ってなった事業があれば、そこに経営資源を集中投下して一気にやっていくということが必要なんだと思います。
撤退基準はどのように設定していますか。
3年間やって黒字にならなかったらやめようと思っています。
人材事業もそうでした。そこに私情は挟みません。
撤退することは意外と難しい、e-ラーニング事業もそうでした。
これまでこんなにヒトもカネもかけてきたからなって思ってしまう。
周りからはもう少し様子見ませんか?とも言われますしね。やめる勇気が必要だなと強く思います。
やめて後悔したことはありますか。
無いです。そういう意味じゃもっとやめるべきかもしれませんね。
そこに注いでるリソースというか、そこで働いている人たちも、赤字事業だとかわいそうな環境が続く。違うことをやってみるともっと活きる人材もいますからね。
これは僕自身が最近特に考えることなのですが、人材の育成や評価の基軸はどうお考えでしょうか。社員をどこまで信じてどこまで任せるのか。
長年経営をしていると、信用していた人に裏切られる様な局面に立つこともありますよね。
だからといって、人を信用しないっていう生き方をするとすごくつまらない人生になってしまうと思っています。
なので、そもそも悪いことができないような仕組みをちゃんと作ろうと。
悪いことしてもばれない環境があるから、良からぬことをつい考えてしまうというのがあると思います。結果、そういう環境のせいでその人を不幸にしてしまっているのです。
そう考えれば、悪いことができない環境を作るのが経営の責任とも思います。
あとは信用している事は前提としてもちろんなんだけど、仮に裏切られたとしてもショック受けないように事前に心の準備をしておくことかなぁ(笑)
評価制度に関しては、うちもまだまだなところあるから外部のコンサル受けたりしていますね。評価方法のアイデアをもらったり、他社事例を聞いたりだとか。そうやってブラッシュアップをしていきながら、自社の特性を捉えた評価制度を作っていきたいと思っています。でも人事は本当に難しいですよね。
最終的には自分の勘かな(笑)
最後の最後は経営トップ自らが自分を律する心を持てるかどうか
最後の質問になりますが、事業をやりきるために「途中で折れない、続けていくために必要なもの」は何でしょうか。
経営トップ自らが自分を律する心、強い気持ちをもつことです。
人間って弱いから、つい自分を甘やかしてしまう。
自分を律することができないとダメ人間になってしまいます。
自分を律することができない経営者は多いと思う。重役出勤してもだれからも怒られない立場ですし、中には公私混同している人もいるだろうし。でも、そういうのってやっぱり社員は見ているし、駄目ですよね。
あとは、なぜ折れないでこれたかと言うと、ハングリー精神です。
自分のなかで怒りとか反骨心みたいなものを持つようにしている。これは大きいですね。
自分がやっている事は、社会から求められている事なんだ、必要な事なんだ!
正義は我にあり。こういった気持ちを持つ事が大切だと思います。
野村社長、ありがとうございました。
今回のお話は、これから起業を考えている経営者にとっては非常にためになり、既に実績ある経営者の方々に向けては、事業にとって一番大切なものは何かを思い出させるような貴重なお話だったと思います。次回は、場所を変えてまた一献ぜひお願いいたします。